数々のオリンピック選手を排出しているフィギュアスケートの敏腕コーチ、エテリ・トゥトベリーゼコーチ。
2022年北京五輪では、号泣するワリエワ選手に詰問していたことから、“氷の女王”とも言われていますが、エテリコーチの若い頃は超美人!!
エテリコーチの若い頃のアイスダンス動画もご紹介します!
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エテリコーチの若い頃の画像が超美人!
幼少期:4歳半でフィギュアスケートを始める

エテリコーチは1974年にモスクワで、大家族の5番目として生まれました。
エテリコーチの父親は自動車製造工場の鋳造所で働き、母親はエンジニアとして働いていました。
両親は金持ちではありませんでしたが、エテリコーチは幸せな幼少期を過ごしたと言われています。
弟をサッカーに連れていくためにヤングパイオニアスタジアム(スポーツの専門機関)に訪れた時、偶然フィギュアスケート選手を目にします。
優雅に滑るフィギュアスケート選手に魅了されてしまったようですね!
その後、エテリコーチは母親を説得してスケートリンクに通うようになります。
こうしてエテリコーチは、4歳半でスケート人生をスタートします。
背骨骨折の重傷を負う

エテリコーチが最初に師事したのは、EvgeniaZelikova(エフゲニア・ゼリコワ)。
当初30人の子供たちが教わるグループでしたが、最後に残ったのは5人と言われています。
熱心にスケートを学んでいた若い頃、エテリコーチは背骨骨折の重傷を負います。
エテリコーチはこの時にカルシウム成分が含まれた薬を摂取していたようで、3ヶ月でなんと22cmも身長が伸びたそうです。
現在身長170cmのエテリコーチ、この時に一気に身長が伸びたのかもしれません。
アイスダンス時代の画像と動画!

エテリコーチは背骨骨折の重傷から復活しますが、シングルを諦めアイスダンスに切り替えます。
エテリコーチの若い頃の、貴重なスケーティング動画がこちら!
楽しそうに滑ってますね〜!
現在の「氷の女王」のイメージは皆無です。
アメリカ時代:テロ攻撃で負傷
18歳の時にエテリコーチはアイスショーで働くためにアメリカのオクラホマに渡ります。
しかし、パスポートが無効だったことで働くこともできず、お金が無かったエテリコーチはホームレスの人々のためのYMCAの建物に一時的に住んでいました。
ところが1995年4月19日に、この建物の向かいにある家がテロ攻撃を受け、エテリコーチが住んでいた建物にも被害がおよびます。

このテロ攻撃で負傷しながらも消防隊員に助けられ生き延びたエテリコーチは、公共のスケートリンクでトレーニングを始めました。
1994年から1998年にかけて、エテリコーチはアメリカでコーチとして働いていました。

何歳の頃かは不明ですが、エテリコーチ美しすぎますね!!
170cmの長身だったのでモデルとしても活躍できそうなくらいです。
ロシアに帰還:コーチを始める
1999年にエテリコーチは、アメリカからロシアに戻ります。
しかし、当初は仕事を見つけるのに苦労したそうです。
やがてシルバースケートリンクでコーチとしての地位を獲得。
コーチとしての才能を開花させていきます。
エテリコーチはアメリカで娘を出産
エテリコーチは、未婚のまま2003年にアメリカで娘さんを出産しています。

娘さんの名前は、ダイアナ・デイビス。
ダイアナは、2歳半の時に医者が処方した抗生物質が間違っていたことが原因で難聴となってしまいます。
しかし、ダイアナはエテリコーチのもとでフィギュアの練習を続け、現在はアイスダンス選手として活躍しています。

ダイアナ選手は、フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワの親友で、インスタにも度々一緒に登場します。

エテリ・トゥトベリーゼの経歴
エテリコーチの若い頃をご紹介しましたが、なかなか波乱万丈な人生を送られていましたね!
背骨骨折の重傷や、貧乏な時代、テロ攻撃など、壮絶な人生を乗り越えてきたのですね。
これらのことに比べれば、多少のバッシングがあってもまったく動じない…のかもしれません。
そして、エテリコーチの若い頃は、そんな壮絶な人生を感じさせない美しい輝きをまとっていました。

エテリ・ゲオルギエヴナ・トゥトベリーゼ(Eteri Georgievna Tutberidze)
フィギュアスケートコーチ
出身:ソビエト連邦・モスクワ
生年月日:1974年2月24日
年齢:48歳
身長:170cm
家族:娘(ダイアナ・デイビス)
結婚歴:未婚
指導選手:
エフゲニア・メドベージェワ
アリーナ・ザギトワ
エリザヴェート・トゥルシンバエワ
アンナ・シェルバコワ
アリョーナ・コストルナヤ
カミラ・ワリエワ